先ほど、富山でお世話になった先生の最終講義が終わりました。本来ならば私も顔を出して会場で拝聴しなければならないのですが、遠い八丈島ですので、リモートで参加しました。
先生の最終講義の直前まで、自身のこれまでを振り返りながら、八丈島を回りました。
今日は、「八丈島に来てしまって、人生、何があるかわかりませんね」と題してのお話です。
快晴の八丈島で、来島するきっかけを思い出していました
今から6年前、先生が八丈島にいらっしゃったとき、私の人生の転機がきました。八丈島の教育に力を入れている人が先生にお願いしました。
八丈島は田舎です
でも、教育を諦めたくありません
科学教育ができる人を紹介していただけませんか?
そのときに紹介されたのが私でした。
私もいろいろ考えました。八丈島へ行った時点で研究者引退が決定するからです。
当時の私は50歳近く。
大きな研究は5年ごとに発生します。仮に即ポジションを取っても、定年まであとたった3回しかチャンスはありません。
私はこの未来の人生では満足できませんでした。
研究者も潮時か・・・
求められているうちが花だ
八丈島へ行こう
八丈島からヤコウタケの絵葉書の年賀状をもらったときに決意しました。
6年間、毎日八丈島で贅沢な景色を見ています
私は八丈島の美しい景色を見ながら生活をしています。本土では、夕日ヶ丘から眺める南原千畳敷、八丈小島の姿は絶対に見られません。
毎日違う姿が見られるんですよ
贅沢ですね
元々は、研究者ではなく、動物写真家になりたかった
私は大学院生のころ、プロの写真家と混じって、平凡社の動物生態写真雑誌「アニマ」に何度か写真を掲載されたことがあります。写真は学部生のころから始め、今も続けています。
当時は本気でプロの動物写真家になりたかったのです
あれから30年後、厳密には違いますが、今はその望みがほぼかなっています。写真を撮影し、集客につなげ、自身の収入につなげています。
学部生、大学院生、研究者時代に比べて、この6年間で写真の腕はかなり上達しましたね
当時の研究者仲間から、
八丈島へ行くと決めたあなたの考えが信じられない・・・
研究者としては終わっている
と言われたこともありました。大学の先生になる夢は消えましたので、仲間が言っていたことは確かにその通りでした。
でも、元々そういう運命だったのだと思います
私は後悔していません。心の奥底で諦めていた人生が今ここで復活しているからです。
人生、何があるかわかりませんね
先ほど、富山でお世話になった先生の最終講義が終わりました。先生は先生で戦いの日々だったと思います。
私は、先生との出会いで、八丈島に来るきっかけをいただきました。感謝しています。
先生、長い間、おつかれさまでした
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