昨年の2024年は執筆活動で6月から8月までほぼ籠もりっきりでした。それでも時間的に余裕があれば、カメラを持ち、わずかですが撮影もしていました。
仕事で家に籠もっていただけで健康です。外へ出かけるフットワークは軽かったですね

EOS R3+Mount Adaptor EF-EOS R+EF600mm F4L IS II USM+EXTENDER EF1.4xIII

海から離れた安全なところから望遠レンズを使って撮影しています。
ところが、その1年後の2025年7月29日、左足首がぐしゃっとなるまで足をくじきました。

あっ・・・
潰れると言っていいくらいやってしまいましたので、ダメになったとすぐに思いました。出来る限りのことはしようと思いましたので、すぐに病院へ行き、X線撮影をしました。
骨は折れていませんでしたが、やったときに何か切れる音がしたことから、

これ、自然治癒しないのでは・・・?
と予想しました。
やって一晩経ったら左足全体が腫れ、足首や関係ないはずの指先の関節にも出血が見られました。
やってからまもなく2週間。初期の腫れは収まってきました。
でも、足首周辺はかすかな腫れが続いており、未だに通常通りには歩くことは出来ません。
怪我してからちょうど1ヶ月くらいの日に、都心でMRIによる診察が行われます。
診察当日までに回復してなかったらどうなるか、先のことを考えると切りが無いですね。

今日は、「歩けるということの大切さと幸せ」と題してのお話です。
トレイルカメラによるデータ集めが出来なくなりました
怪我する前日、台風9号が接近するため、無人撮影用の重要なデータを集めているトレイルカメラを回収していました。
トレイルカメラがいくら防塵防滴でも防水ではありません。壊れるのを防ぐためでした。
怪我の前に回収していたのは幸運でした。
フィールドは平らな場所はありません。怪我した私の足では歩くのは無理でした。
そして、春から継続していた観察が途切れたのは、私にとってはショックなことでした。

無人撮影が出来なくなりました
私は手持ちで超望遠レンズを使うことが多いです。この場合、歩くのが主です。
怪我以降、当然出来なくなりました。

今年は長い期間をかけて無人撮影の準備をしてきました。テストを繰り返し、ようやく軌道に乗りかけたところでした。
無人撮影の機材は、超望遠レンズに比べましたら、一つ一つの重さは軽いです。しかし、パーツが多いです。
すべての機材をセットするためには、何度も何度も往復しなければなりません。
初めは続けてやりたいという気持ちが強かったのです。でも、自分の足で歩けない現状を時間の経過とともに認識し、やりたい→諦めに気持ちが変わりました。

散歩が出来なくなりました
歳をとると体は色々と悪くなります。遺伝もありますが、私の場合は血圧が上がってきました。
改善は色々な方法があると思います。私は散歩を始めました。
本当は運動の方が良いのですが、体の方が老化していました。後の祭りですが、若い頃から継続して運動していればよかったと思います。
まあ、出来なくなったものは仕方がありません。出来ることから始めました。
継続は大切なことです。体重は減り始め、血圧も順調に下がり始めました。
私自身は何を楽しんでいたかと言いますと、散歩による健康ではなく、歩いている時に見られる野鳥や聴こえるその声でした。
携帯のQFieldに記録しながら、私は八丈島の野鳥をどう見ているのかを考えていました。次の撮影のヒントですね。
今回の怪我で、この楽しかった時間も全てなくなってしまいました。

歩けない将来の自分について考える機会になりました
人は必ず歳をとるもの。言葉では分かっていましたが、年齢よる老化よりも早く歩けないという体験をしたことは、私にとっては貴重でした。
今の怪我はおそらく治るでしょう。でも、将来、自分が歩けなくなったらどう生きるのか・・・?
私は研究者時代に世界初という体験をしてきました。その喜びや感動は何ものにも替えられません。
こんな唯一無二の体験を何度もしてしまいますと、普通の体験の人生では満足出来なくなりました。
貧乏人の戯言に聞こえるかもしれませんが、私のこれまでの体験は10万円、100万円、1,000万円、1億円、10億円を払っても買えません。というか出来ません。

「世界初」というのはそういうものです
私がフィールドに出たり、データを取ったり、カメラを持ったり、カメラを仕掛けたりするのは、唯一無二の体験がゴールだからに他なりません。
怪我の体験を活かすこと。「今」を失ったらどうするかは頭の片隅に置いて、ときどき考えるべきだと思いました。

今日は、「歩けるということの大切さと幸せ」と題してのお話でした。
今回の怪我で、出来なくなったトレイルカメラによるデータ集め、無人撮影、散歩のお話をしました。
「健康は大切」という言葉はよく聞きます。
ですが、実体験しますと、自身の理解には大きなギャップがありました。怪我は治りますが、この機会を大切にし、歩けない将来の自分についてときどき考えるべきだと思いました。
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