私が運営する子供たちの科学クラブの研究が、コンクールに入賞しました

その他

以前、「子供たちの科学教育について」と題して、私の子供たちに対する科学教育の考え方について、このブログで紹介しました。

そこでは、

どこかの発表会に提出する予定です

と記しました。


今日は、「私が運営する子供たちの科学クラブの研究が、コンクールに入賞しました」と題してのお話です。


八丈島の子供たちの研究は、第64回全国学芸サイエンスコンクールで応募総数72,867点の中から努力賞34点の中の1点として選ばれました。

表彰される各賞の総数は合計で521点。応募総数の72,867点で割ると、今回の第64回全国学芸サイエンスコンクールの全国上位0.7%になります。

離島での教育は色々と不利ですが、それを乗り越えての快挙です。

私も驚きました

おめでとうございます

どうやって賞をとったのかの考え方を書きます。


スポンサーリンク

私の科学の考え方

実は、上の方から、「科学コンクールで賞をとるように」といわれていました。でも、私は賞には全く興味はありませんでした。

私は、

科学は、新しいことを発見し、それが必ず起きることを証明し、続いてくる人たちに伝えること

と考えていたからでした。


子供たちを1人の研究者として対応しました

科学に年齢には関係ありません。幼稚園、小学生、中学生、大学生、大学院生、研究者、助教、准教授、教授と科学に携わる人はたくさんいます。

でも、私には科学の下では常に平等と考えています。ですので、私は、子供たち一人一人を現役の研究者として対応しました。

具体的には、新しい実験を思いついたら自由にやらせてみて、出た結果について一緒に考えました。実験が、上手くいかないようでしたら、一緒に実験して、私もできなかったら、「できないのが正しい」といいました。

子供たち、一人一人がどのように私のやりかたを受け止めたかは分かりません。でも、元研究者として、科学に対して私のベストのやりかたを子供たちに見せました。


子供たちの個性を知る

初期のころ、優秀な子だけ面倒を見ればいいといわれていました。でも、私は、それを受け入れませんでした。

私は、勉強のできる子でも、頭のいい研究者でもありませんでした。ですが、私は、私の研究分野の天才とよばれる研究者に挑戦し、勝った経験が何度もありました。

そう、優秀でない=ダメならば、そんなことは起きません。能力がなくても、場合によっては勝てるのです。

優秀な人に対して、一般の人、一人一人では、能力では到底かないません。

ですが、一般の人は長所と短所の両方を持っています。ピンポイントでは優秀な人を上回る場合があります。

そう、一般の人の長所を集めてチームを作れば、その合計された能力は優秀な人のそれを上回ることができます。

このやりかたは、アメリカ時代に学びました。

当時、博士は教授と初期は能力が全く無かった私、そして、他は学部生のバイト。ここから、私は、私にしかできないいくつかの研究の特殊技能を、学部生は論文に関わる実験の技能を習得しました。

あとは、全員の力を合わせて、実験結果を出し、論文を出し続けました。そして、何報かに1報ではありましたが、天才に打ち勝つ大きな仕事を成し遂げました。

この成功の経験があったからこそ、私は子供たち一人一人の負けない部分を探しました。

そして、一人一人は優れていなくても、個々の長所を集めて大きな能力を発揮するチームを作り上げました。


3年間のダンゴムシの研究

1年目はアイディアがたくさん出ました。振り返ると、ダンゴムシと迷路という安上がりの制約の中で、様々な迷路や実験が生まれました。

子供って頭が本当にやわらかいですね

少なくとも、彼らがデザインした研究は、私は思いつきませんでした。ここで気づいた方がいらっしゃるかも知れませんが、この一連の研究は全て子供たちが考え出したもので、一切、私は手を出していません。

2年目は再現性をとりました。面白い結果を出した実験を中心に再現性をとりました。

また、実験過程で穴埋めをしなければならない実験が浮かび上がりました。実験デザインをやり直し、再現性をとりました。

そして、3年目は地獄のラスト。

研究で一番たいへんなのはトドメをさすことです。研究の進捗と苦しさの関係はこんな感じです。

ラストが最も苦しくなります。

私は、初期の頃は、実験自体が苦しいと考えていました。そして、その苦しみは1次関数のように傾きが一定と思っていました。

でも、プロの研究者になり、論文の責任著者になった経験から、研究の苦しさの現実は違っていました。ラストが地獄です。

今回の研究の中での一番の問題は、1年目で発見した最後の実験の結果が、2年目の後半から再現ができないことから始まりました。

私は、1年目の実験を一応見ていました。その子は嘘をついていないことは分かっていました。

でも、2年目後半以降、他の子がやってできないのも見ていました。

どちらも嘘をついていません。でも、結果が異なるのです。

細かな条件を子供たちと一緒に話し合い、1点ずつ実験条件に制限をかけて結果を確認しました。その結果、最後の実験は条件を変えると2通りの結果に収束することに気づきました。

そうです、1年目の子も、2年目以降の子も、両方とも正しいことをいっていたことの証明でした。

私は、この結果が、子供たちから生み出されて、とても嬉しかったです。

上手くいかないことから、科学的な根拠がないのにも関わらず、感情論に走り、子供たち同士で「捏造」と言いあいになるところでした。

この研究のゴールを確信した瞬間でした


賞をとるのがゴールと思っていませんでした

はじめの繰り返しになりますが、上の方から、「科学コンクールで賞をとるように」といわれていました。でも、私は、「研究は賞をとるためにやっているのではない」と考えていましたので、無視しました。

子供たちができるベストを出し切っても、それを評価されない場合もあるからです。ですので、賞がとれなかった場合は、論文を書くつもりでいました。

論文の著者として、子供たちの研究者デビューを考えていました

直ぐそばにいた私でさえ、子供たちの活躍に驚かされていました。私ではない科学雑誌のレフリーが、全員小学生の著者の論文を読んだとき、どんな顔をするか見たかったです(笑)。


私は、何事も限界の線引はしてはいけないと考えています。限界を越えた子供たちと一緒に泣き笑いしながらの3年間の研究、本当に楽しかったです。

これこそが、本当に欲しかった宝物です

一人一人はダメでも、長所を出し合った集団になれば、大きなことを成し遂げられる。子供たちにとっても、今回の経験は、今後の人生を生きる上で何らかヒントにつながればいいですね。

科学クラブのメンバーは来年の春で全員中学生になります。また、新しい小学生と出会って、新たな研究の壁をいっしょにのりこえたいと思います。

タイトルとURLをコピーしました