私は、八丈島に来てから、八丈サイエンスクラブを運営してきました。子供たちは、未知の世界に足を踏み入れ、知らないという恐怖に打ち勝ち、世界初の実験結果を積み重ねてきました。
正直、元研究者の目から見ても、子供たちの成果はとても怖かったです
私が現役の研究者時代、習慣化していたのもありますが、先が読めました。でも、どんなに研究者としての経験を積んでも、子供たちの私の知らない力には恐れおののいたものです。
私は、そのような子供たちとどう接したのか?
今日は、「大人は、子供に、「勉強しなさい」と言えるのか?」と題してのお話です。
私の指導の基本ルール
私は、仕事を始める前に、責任者に必ず言うセリフがあります。
やってはいけないことはなんですか?
たったこれだけ。
私は指示されたルールは守ります。でも、それ以外はなんでもやります。
研究とは、どこに新規な事象が潜んでいるか分かりません。ですので、人が考えたルールで終わらせるわけにはいかないのです。
多くの場合、子供たちは、大人(私)が決めたルール外から新規の結果を見つけました。ここまで結果を見せられると、「子供」だからと考えるよりも、私と対等以上と扱うしかありません。
大人の私にとっては、屈辱的でしたけれどもね(笑)
知らないことを知る苦しみ
子供たちは、たくさんのアイディアと徹底的な実験と追試によって、新規の事象を次々と見つけました。
野球選手は、スランプから脱出するときに、意識して素振りをしますね。
調子のいいときは、バットが通る一定軌道の型ができます。スランプのとき、繰り返し練習しますと、そこから外れたものが、ノイズとなり、野球選手はスランプの原因を気づきます。
研究の世界も似たようなことが起きます。ダンゴムシの実験のときは、子供たちは、野球選手と同じように繰り返しの連続でした。
そして、知らないことを知るためには、相当の苦しみを味あわなければなりませんでした
子供たちは、意外と学校の成績は良くなかった
これは、あとから聞いた話です。私の目からは、子供たちは豊かな科学的な視点を持っていました。
少なくとも、私が同じ学年だったときよりも優れていました。こんなことが出来るのだから、学校では、成績がいいと思っていました。
もちろん、そのような子供もいましたが、ほどんどは普通の成績だったようです。八丈サイエンスクラブでは、子供たちの学校とは違った長所が表に出ていたようです。
大人(私)が、子供たちに言えること
残念ながら、私は「勉強しなさい」を子供たちに言いづらいです。だって、ほとんどの子供たちの成績は、当時の私よりも上でしたから。
それでもいわなければならないときは、どうすればいいのですか?
難しい質問ですね
私は、子供たちが苦しんでいることと、同じ苦しみを味わって背中を見せました
ダンゴムシの実験は再現性を得ることが必要でした。これが、同じことの繰り返しで、本当につまらない。
研究はつまらないもの
これは、私の口癖ですが、それを地で行っていました。ですので、
つまらないよ〜
という不満不平の言葉をたくさんの子供たちから聞きました。
まあまあ、僕もやるから
と、こんな言葉しか話せませんが、子供たちの苦しみを共有して、一緒に前に進むしかありませんでした。
私は、子供たちから見れば、おじいさん世代に入りかかっています。子供たちが通う「学校」からは、かなり離れてしまいました。
基本的に、今、大人の私が子供たちに対して出来ることは、同じ苦しみを味わうことです。
算数が嫌い
と言われれば、いっしょに頭を痛めて算数をしますし、
英語が嫌い
と言われれば、いっしょに頭を痛めて英語の本を読まなければなりません。
そうでなければ、私は、子供たちから見れば、ずるい大人ですし、不公平な大人になってしまいます。
今は準備中ですが、間もなく、八丈サイエンスクラブは再開します。今後、このようなネタは、新たに開かれる八丈サイエンスクラブのwebpageに書くことになります。
私にとっても、苦しい時間を子供たちと過ごすことになりますが、これはこれで、楽しみな時間でもあります。
八丈島の子供たちも、大人の方々も、楽しみにしていてくださいね