離島の八丈島に食料品がついに届きました

生活

台風14号が通過し、離島の八丈島に住む私たちが首を長くして待っていたものがあります。そうです、食料品です。

食べ物なんて、コンビニでも手に入るのに・・・

確かに、本土では、そうですよね

私も八丈島に住むまでは、その感覚、とても良くわかりました

ちなみに、八丈島にはコンビニはありませんよ(笑)


今日は、「離島の八丈島に食料品がついに届きました」と題してのお話です。


以前のブログでも書きましたが、私も今回の長期の欠航に備えて、米、乾麺、水、根菜類、缶詰などを備蓄しました。あと4〜5日欠航しても大丈夫でした。

それでも、今回はとても不安を感じました。

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秋雨前線の活動が活発だった

台風14号が来る前から八丈島は大雨が続きました。島民は口々に天気のことを話題にし、買いだめのタイミングの情報も行き交っていました。

買いだめ=船の欠航です。この話題が出るときは、長期の欠航です。

私は、友達が、

今回はやばい

と再三いっていたことに、感謝し、そのアドバイスをもとに買いだめをしました。と同時に小さな不安が、自分でも知らずしらずのうちに出始めたのだと思います。


台風14号の通過

2020年10月11日の深夜に台風14号は、八丈島に最接近しました。そのとき、総降雨量は700 mmを超え、土砂崩れがいつ起きてもおかしくない状況になっていました。

その日はずっと、防災無線から警戒の放送が流れていました。そして、深夜、土砂崩れの情報が防災無線から流れました。

前もって自分の家は危険区域ではないことは知っていました。防災無線が鳴った直後に、八丈島の地図を見て、どのあたりが崩れ、危険箇所だったのかを確認しました。

自分の家からは離れているとはいえ、そこには人が住んでいる家もあります。ドキドキしながらその夜を過ごしました。

防災情報

10月11日の夜、東海汽船が芝浦から出港したという情報が入りました

この情報は、東海汽船のwebpageだけでなく、八丈島のTwitterでも一斉に流れました。長期欠航し、物資の輸送が止まった不安からようやく開放されると思いました。

しかし、この日は、かなり海は荒れていました。東海汽船は引き返す可能性もありました。

私は知らなかったのですが、今回の復帰第1便は、台風前の受付停止により食料品は積んでいませんでした。

八丈島に届けるためには、引き返すかもしれないという船には重要な食料品は積めないのです。期待の中、落とされる感じでしたが、冷静に考えれば、そのとおりなのです。


10月13日、ついに食料品が届く!

前日までにスーパーの棚は空っぽになっていました。

本土の方に想像するのは難しいと思いますが、深夜のコンビニのお弁当コーナーに行ったら何もないときがありますね

それが、あなたの目に入るすべての棚がそうなったと思ってください

そんなこと経験したことがありません

そうですよね

八丈島に食料品を積んだ東海汽船がついに到着しました。

お昼過ぎに、八丈島のスーパーのひとつ、あさぬま大賀郷店に行きました。ほとんどの棚に品物がおいてあって、いつもの八丈島に戻ったと思いました。

これは、あさぬまに限らず、八丈ストア、富次郎、中村商店など八丈島のすべてのスーパーに言えることだと思います。


笑顔で満ち溢れた離島のスーパー

店内にいて気づいたのですが、今日は品物を取りながら笑顔、アイコンタクトで笑顔、会話で笑顔と、笑顔で満ち足りていました。スーパーは、品物を購入する場所なはずですが、ここには不安から開放された安堵感から生まれる笑顔だらけの空間でした。

前日の空になった棚が嘘のようでした。


不安はどこからきたのか?

私は、今回の欠航に対して、対策は十分だったと思います。文字上でも理論的にも。

そして、家にあった食べ物は徐々に減りはしたものの、まだ余裕があったのです。それでも不安になりました。

不安の原因は、おそらく空になった棚を自身の目で見たからだと思いました。

春にマスクや消毒液がなくなって、八丈島でも小さなパニックが起きました。たぶん、私はそのような状況に近い状態になっていたのかも知れません。

今回の経験で、不安な状況やパニック買いは、誰でもなることを知りました。

今回は食料品自体がないので買うこともできないのですが、離島で生きるためにも、この経験を積んで、不安やパニック買いを起こさないように、努めなければいけないと思いました。

いい経験をしました

また、離島の八丈島に住む私たちの生活は、スーパー、陸海空の輸送に関連する会社によって支えられています。いつもありがとうございます。今回は、自身も考えさせられた機会となりました。

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