私は、屋根のある仕事場以外では、フィールドで野鳥写真を撮るためのデータを単独で取り続ける生活をしています。
1日誰とも話さないということはよくありますね(笑)
今日は、「「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」というけれども・・・」と題してのお話です。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」が成立するとき
私は元研究者ですので、どうしても、たとえ話が研究になってしまいます
お許しを
研究の実験操作ではマニュアルがあります。ニュースで話題に出ているPCRもマニュアル的な実験です。
分子生物学分野の実験では、マニュアル通りに操作しますと、明瞭な結果が出ます。考察では、実験の過程ではなく、インプットの条件とアウトプットを議論します。
考察をするためには実験が必要で、その分野で認められるマニュアルに従わなければなりません。このとき、操作を知らなければ、「研究」に参加できませんので、人に聞く場合があります。
このときは、「聞くは一時の恥」さらには、知らないと結果が出ませんので、「聞かぬは一生の恥」となり、出来ないままですとクビとなるわけです。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」は会社などの組織でも大切な言葉
組織では様々な人が集まっています。八丈島に来てから、私は知らない多くの異分野の人と出会い、仕事を始めました。
理論科学の場合は数式の場合もありますが、研究では、実験結果を数字で議論します。ところが、研究の外に出て一般の社会の人と接すると、異分野の人と仕事をするときは、人は数字ではなく言葉で説明する傾向があります。
人に伝えるためには、共通の言葉が必要で、この言葉を知らなければなりません。このときも、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」が重要です。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」の弊害がでるとき
未知の世界を歩くとき、正解は分かりません。このとき、人からのアドバイスで救われ、困難を克服したということも、よく聞きますね。
それは「未知の世界」と当人が思い込んでいるときに、アドバイスが成立すると、私は思っています。
全くの未知ですと、そもそもアドバイスをする「言葉」が存在しません。アドバイスは出来ません。
その「言葉」を作るのは、未知の世界を歩く当人その人です。「聞くは一時の恥」は成立しません。
未知の世界で、説明責任のない「言葉」を聴いてしまった場合はどうなるでしょうか?先入観が生まれ、人は正解から外れていきます。
これが、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」をやった瞬間に、弊害が生じるときです。
私は、フィールドで野鳥写真を撮るためのデータを単独で取り続ける生活をしています。その理由は、自分が本当に求めるデータは、自身の研究経験から、自分の視点しか得られないと考えるようになったからです。
この考え方は、先の私が運営する小学生対象の科学クラブでも使いました。本や論文、インターネットで得られる事象に盲信させず、その向こう側の世界(未知の世界)へ、子供たちを連れていきました。
きっと子供たちも不思議に思っていたと思います。なぜなら、その世界には簡単に入れたのだから。
人間が作った「言葉」と「言葉」の間には、無数の未知の世界があります。そして、その世界は、あなたのすぐ側にもあります。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」が通用しない未知の世界はとても楽しいものです。そんなわけで、未知の答えを探して、私は八丈島を散策し続けています。