八丈島に帰ってからずっと疲れでぐったりしています。
振り返ってみますと、人生で一番きつかったのはアメリカでの仕事。でも、それによって自身が成長しただけでなく、研究者としても外から評価を得ることができました。
日本に帰ってきてからも、それぞれの場所でキッチリと結果を出しました。ただ、プロとして結果を出すのは当たり前と思っていましたので、そういう点では仕事のプレッシャーは感じなくなりました。
八丈島に来てからは、「子どもたちに賞を」という上から司令が出ていました。私は「研究は賞を取るためにやるものではない」という考え方をしていますが、結果は出しました。
こちらは、全部、子どもたちの頑張りなんですけれどもね
人生には無駄というものはありません。そのとき、そのときは直接の結果には繋がらなかったとしても、サイドワークで自分の未来に対して投資はできます。
今日は、「3ヶ月間の仕事の疲れを取りながら、次の仕事のことを考えています」と題してのお話です。
自身を使ってもがく経験は唯一無二の財産
私が子どもたちに研究を教えるとき、必ず言うことがあります。
私たちは貧乏だからお金をかけてはダメ
え゛~!
子どもたちから。毎回、文句の声が聞こえましたね(笑)。
でも、考えてもみてください。
誰でも最初の挑戦は小さな一歩からです
そして、たくさんの失敗をします
特に最初の段階は無駄になることが多いです。ですので、お金をかけてはいけないのです。
当然、お金がなければ手足、頭、心を使ってもがくしかありません。でも、意外と結果は出てしまうものです。
もがいた経験は、それこそ自分に特化した唯一無二の財産になります。子どもたちの成長を見て、私もたくさんの学びを子どもたちから得ました。
人間の価値はどれだけ一生懸命になったかどうか
「人間の価値はどれだけ一生懸命になったかどうか」って聞きますと、なんだか精神論ぽいですね。これ、大学院生時代、当時、ふざけて生活していた私に対して教授が私に向かって怒鳴って放ったセリフです。
あのときは、
うるさい爺さんだなぁ・・・
と、斜めに聞いていましたが、今の年になってその言葉の意味が分かるようになってきました。物事に対して、一生懸命になればなるほど、真剣になればなるほど、その経験が血肉となるということです。
交通事故で寝たきりになった体に鞭打って這い上がったとき、底辺の研究者から這い上がったとき、アクセス数の少ないブログから這い上がったとき、振り返れば不安の中も諦めずに一生懸命やってきたことが結果に繋がっています。
一見ダメそうでも、私の実体験ではけっこう逆転はありました
2024年も新しく挑戦
私の人生は、交通事故で死にかかったものの、それ以外、特に人に対しては幸運な出会いの連続でした。いろいろな考え方の人と出会えたことは私にとっては財産です。
私のモットーは、
一生懸命の人には一生懸命で返す
です。都心にいた3ヶ月間で、自分の持っている力で今何ができるか、いろいろ考え、試してみました。小さな一歩を自分の周囲へ踏み出していました。
そういう活動をしていますと、自分の周りから届く情報は見えないさまざまな積み重ねによって作られていることが分かってきました。
「千里の道も一歩から」
故事成語なんて意味ないと思っていました。でも、ずっと残っているということは、人間にとっては意味のある重要な言葉なんですね。
その言葉を信じ、2024年、成功するかどうかは分かりませんが、新しいことを一つ試してみようと思っています。
今日は、「3ヶ月間の仕事の疲れを取りながら、次の仕事のことを考えています」と題してのお話でした。
まだ、疲れが抜けきらず、ずっとぐったりと生活をしています。
そんな中、次のことを考えています。
新しいことをするのは怖いこと。でも、振り返ってみますと、私の人生は挑戦の連続でした。その結果、事故による大怪我からの復帰、研究、ブログとやればやるほど経験という財産が積み重なりました。
千里の道も一歩から
新しい挑戦をする時期に来たようです
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