私の人生を振り返りますと、一番長いのが愛知県の12年、次が岩手県の8年、アメリカ合衆国カリフォルニア州と東京都の7年、そして、兵庫県と富山県の5年の順です。
その中で、岩手県での大学4年間が大切な時期で、自身の生き方の原型をこの時期に作り上げました。
零下、雪が降る中でカメラを構えて野鳥を待っているとき、自分の生き方について考え続けていました。
今でも忘れられない時間です
富山県の国家プロジェクトに所属していたときは、初めは車を持っていませんでした。丈の長く中が植毛されている長靴、レインウェアを着て、雪が膝まで積もった道をラッセルして仕事場に通ったのもいい思い出です。
今日は、「2024年2月、都心で久々の雪体験しました」と題してのお話です。
雪国の人が歩くとき、雪があっても滑らない
昔、テレビで特集がありました。
雪国の人はなぜ滑って転ばないのか?
理由は、靴の裏に溝があるからだそうです
でも、これを当時テレビで見ていた私は
?
と思いました。だって、子どもだった私たちは、つるつるの靴で雪の上を走りまくっても転ばなかったからです。
通常、歩くとき、地面から足が離れる瞬間、足首を動かして地面を蹴りますね。でも、雪国の人はこれをしていません。
地面を蹴ると滑るからです
私は、足は垂直に下ろし、地面から足を離すときは蹴るのではなく、足首の動きを消して、足全体で地面から離すように歩いていました。
そうしますと、靴の裏の溝の有無に関係なく、足が滑らなくなります
都心では240人滑って転んで怪我をされたそうです。雪が降る予報が出るときは、雪の上での歩き方講座もセットで放送すれば、怪我人の数が減ったかも知れません。
都心に雪が積もって、少し懐かしい気分になりました
私には故郷はありません。親の仕事の都合で小さいころから日本中を引っ越し、プロの研究者になりましたら、プロジェクトの5年ごとに仕事場を変えてきました。
その中では雪の無い地域ももちろんあったのですが、冒頭で書きましたように、自身の生き方の原型を雪国で作ったこともあり、雪の降る地域には強い思い入れがあります。
夕方には雪が積もり始めました。岩手県や富山県に比べますとささやかな雪ですが、それでも故郷に帰ってきたような感覚に襲われました。
大学生時代を思い出しましたね
都心には仕事で来ていることを忘れない
雪で昔に思いを馳せて感傷に浸る時間はあったものの、私はプロとして都心に来ています。
私は、口先だけで責任も取らず、時間で希釈してうやむやにさせ、取るべき責任を忘れさせようとする小賢しい生き方をするために、都心にいるわけではありません。
出来ることは精一杯
その経験を常に活かす
人生とはこう生きるべきだと私は思っています。そして、私は、教え子たちには、大人として恥ずかしくない背中を見せて生き続けたいと思っています。
雪を見ることで色々考えさせられましたね
今日は、「都心で久々の雪体験しました」と題してのお話でした。
雪を見ながら、自分がどう生きなければいけないのかを決めたあの日を思い出しました。プロの研究者人生20年、教育に携わって7年、若者に恥じない背中を見せてきたつもりです。
そして、この意志は私は生き続ける限り今後も変えるつもりはありません
次の子どもたちと出会うのが楽しみですね
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