ヘルニアの回復のために安静にしていなければいけないので、だんだんとネタが無くなってきました(笑)。でも、参考になるかもっていうレアな経験を、過去に私はしていましたので、今回はそれを共有します。
今日は、「右手のTFCC損傷の手術を振り返って」と題してのお話です。
10数年前のお話なので、記憶が曖昧で少し間違えていることもありますが、ご容赦を。
右手のTFCCの損傷
TFCC(triangular fibrocartilage complex、三角線維軟骨複合体)って聞き慣れない言葉ですが、手首の中にある複合体です。私はお医者さんではないので、詳しくは専門家に任せます。
TFCCを痛めたのは、アメリカ留学時代。腕立て伏せをやっていたときに、突然、右手が、電気が走ったような感じになりました。最初は気のせいかな?と思っていました。
翌日、腕立て伏せでもう一度来ました。これはヤバイというのが素人でもわかりました。
慌てて腕立て伏せを止めても、後の祭り。私は知らなかったのですが、こうなってしまったら自然治癒はしないそうです。
右手に力が入らなくなり、生活に不便が出てきました
私が痛めたのは右手首の中のTFCC。このあと何が起こったかといいますと、研究に使う瓶の固く締めたスクリューキャップが開けられなくなりました。
力を入れると手首が壊れそうな感覚でした。
やかんに水をいっぱいに入れると、右手で持ち上げられなくなりました。これに気づいたとき、ぞっとしました。
アメリカの病院へ行きました
アメリカは医療大国ですが、実際のところは、まともな処置はできません。大金持ちだけが最新の医療を受けられます。
私の場合は、原因不明と診断され、サポーターによる保存療法とリハビリへ回されました(軽度の場合は、この方法で回復します。)。ただ、私の場合は、いくら続けても効果がありませんでした。
日本に帰国してからTFCC損傷が見つかりました
日本に帰国してから、
お前はいつも重いものを持たないで!
と言われました。研究室では、はじめに、はっきりと
重いものを持つのは無理
と言っていたのですが、個人的な恨みをかっていたのか、けっこう言われました。
やっぱりおかしい
近くの病院へ手を見てもらうことにしました。先生は手首を動かしたり、手首の右と左の部分を持ち、上下交互に動かしました。
念の為、MRIを撮りましょう
先生はにこにこしながら、
うちには手首専用のMRIがあります
と続けていいました。
その結果、診断されたのは、TFCC損傷。
右手のTFCC損傷の手術をすすめられました
TFCCは初めての言葉でした。ネットで検索すると、手術後、上手く回復しなかったというのがけっこう見つかりました。
右手は、私が思っている以上に重症で、手術しても簡単には回復しないものでした。
先生は、
手術しましょう
とにこにこしながら言いました。当時、私は、研究で結果を出さなくてはならないし、実家も色々あって、手術は選択できませんでした。
でも、先生は会うたびに
手術しましょう
とにこにこしながら言い続けました。
すべてがある程度見通しがついたので、決心しました。先生に、
手術します
と言ったら、
そうですか
では、やりましょう
と最後は満面な笑みを浮かべて言ってくれました。
TFCC損傷の手術は、手首の中に小さな穴を開け組織の縫合手術をします。それに加え、私の場合は、骨同士が当たらないように右腕の尺骨を切断して骨の長さを縮め、プレートで1年間固定しました。
右手のTFCCの損傷の手術の準備
手術は、当然切ります。ですので、血液検査をします。
Rhの型を含む何型か、それから血液の凝固時間も測定されました。私はアレルギーの体質なので、それについても適正を調査しました。
いろいろな術前検査から帰ってきてから、先生とまた会いました。先生は、
手術中、写真を撮って、研究資料として学会発表に使ってもいいですか?
と尋ねました。
「にこにこ」は、こういう意味だったのか・・・
と私は苦笑い。先生は私の右手首を学会発表の研究として使いたかったのでした。
私も当時は現役の研究者でした。気持ちはわかります。
私は、
いいですよ
学会発表でバンバン使って下さい!
と笑顔で返しました。
TFCC損傷の手術
食事は前日の夜からとらず、当日はトイレを済ませ、パンツ1つと手術着を着せられました。点滴開始後、それではいきましょうかと看護師さんに呼ばれました。
初めて入る手術室は、ひんやりとして、静かな音楽がかかっていました。
ここで、切られるのか・・・
と思って手術台に横になりました。モニター関連のものを色々つけられたあと、液体の前麻酔を管から血管に打ち込まれました。
う゛っ
とグサッとした痛みがきたあと、記憶が消えました。
TFCC損傷の手術の後
起きて下さい
看護師さんの声が暗闇から聴こえました。目を開けると目の前は暗い部屋の中。
手術終りましたよ
時計を見ると、手術室に入ってから6時間経っていました。でも、私の中では一瞬でした。
右手は包帯でぐるぐる巻になっていました。それを見て、
ああ、本当に手術しちゃったんだ・・・
と思いました。
術後の激痛の一晩
手術直後は何が起きるかわからないそうです。そのため、私は集中治療室で一晩を過ごしました。
集中治療室は一人部屋でとても快適そうでした。でも、私は麻酔がまだ効いていて朦朧としていました。
私は大食いですが、その晩はご飯を食べられませんでした。その代わり、少しの水を飲みました。
小さな傷口でも、やはり右手首を切っています。痛み止めを飲みましたが、その晩は激痛で眠れませんでした。
右手は思った以上に使う
ただ、私の場合、健康体で手術を受けたので、それ以外は正常。病院で入院しても、家でも回復を待つだけでしたので、タクシーで家に帰りました。
私は右利きですが、中学校で野球をやっていたときは左打ち。左手で箸を使ってご飯も食べられます。
でも、実際、右手が封じられると、思った以上に何もできなくなりました。
両手は大切なんだなぁ・・・
とつくづく実感しました。
右手首と腕を保護するギプスは、術後の腫れが引いてから着けられました。
研究室に戻り、左手の技術を右手のように高める
実験室では、私一人で分子生物学の研究をしていました。すべて私が思うままにアレンジして良いことになっていました。
そこで、PCRのサーマルサイクラー、電気泳動装置、ピペット、チップ、チューブの位置を左手のみで出来るように模様替えをしました。練習に練習を重ねた結果、右手と同等まで出来るようになりました。
一番難しかったのは、ノートに字を書くことでした。これも、初めは宇宙文字でしたが、だんだんと読める字になっていきました。
切断した尺骨がつながって、ようやくギプスを外してもらえました
時間はかかりましたが、骨はつながりましたよ
と先生から説明をうけました。すぐ、リハビリの話になりました。
数ヶ月固定していると、手は全く動きません。お湯の中で理学療法士さんが、手をマッサージしてくれました。
垢がこれでもか!というくらい出ました(笑)。人間の皮膚はこうやって入れ替えをしているんですね(笑)。
寝るときは切ったギプスに手を包み、お風呂の中でゆっくりと動かす。可動範囲が広がってきたら、最弱のハンドスプリングと1 kgの鉄アレイのエクササイズも増えました。
そして、最終的に、手は怪我の前と同じ状態まで回復し、動くようになりました。
もちろん、水いっぱいになったやかんも持てるようになりました。
手術一年後にもう一度手術
私の右腕の中には切断した尺骨をつなぐプレートが入っていましたね。右手首が完全に治ったら、最後はこれを取り除く手術をします。
今度は、ものの数時間で終わりました。TFCC損傷の手術はこれで終わりです。
あとは、数ヶ月に一回レントゲン写真を撮り、プレートを固定したネジの穴がふさがっていくのを確認しました。
TFCC損傷の手術は、私の場合はとても幸運でした。場合によっては上手く回復できない症例もあります。
私は、大きな力を手首にかけるような仕事ではなかったため、TFCCが損傷しても、骨の位置は正常のままでした。これが、手術が上手くいった一因かも知れません。
病院で右手首のレントゲンを撮るとき、レントゲン技師さんが
TFCC損傷の手術ですね
喜んで見ているのを見て、この右手、けっこう役に立っているとほっこりします。それぞれの状況にもよりますが、自身の経験から、異変を感じたら、すぐにその行動を止めて、専門医へ行き、診断してもらうことをおすすめします。
最後に、右手を元通りに戻していただいたお医者さん、看護師さん、理学療法士さん、本当にありがとうございました。手術から10年以上経ちましたが、今でも大変感謝しています。