八丈島に住んでいる人はご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、私は八丈サイエンスクラブを運営し、無料の科学教育にたずさわっています。
これまで参加されているお子さんと一緒に風の研究をしてきました。先週、予定していたすべての実験が完了しました。
7ヶ月間かかり、とても大変でした。でも、実験のゴールまでたどり着きましたので、喜びもひとしおです。
さて、研究は実験と論文執筆の両方をしなければなりません。
研究途中で、お子さんが見つけた現象を論文にするとき、どう記載するかを話し合いました。
論文で、実験結果と過去の事象とを結び付けられないだろうか・・・?
今日は、「学問は分野が変われば難しい」と題してのお話です。
私が研究していた分野は、論文が多く出版されており、恵まれていた
私が研究していた分野は、大きく分けますと、生物学です。細かく分けますと下記に書かれていますように広い分野で研究していました。
科学雑誌はたくさんあり、毎月出版されます。全てを読むことは不可能なくらいの量です。私が読んだ一番古い論文は、ワトソンとクリックのDNAの二重螺旋構造を明らかにした論文でした。
J. D. Watoson and F. H. Crick, Nature 171, 737-738 (1953)
Molecular Structure of Nucleic Acids: A Structure for Deoxyribose Nucleic Acid
これは、ノーベル賞に関わった論文として有名ですね
私が研究者として生きていた時期は、それこそ必要な論文は何でも検索で見つけられました。
これが、当たり前と思っていました
いつから八丈島末吉に人が住んでいたのかは調べられない
初めの八丈サイエンスクラブでのお子さんとの話し合いに戻ります。実験結果から、末吉、特に洞輪沢にいつから人が住み始めたか知りたくなりました。
ネットで検索しますと、一般的に知られていることしか出てきませんでした。見つかるのは、歴史的には新しいものばかりです。
「いつから人が住み始めたか」ですから、本当の初期です。八丈島には湯浜遺跡のように土器が出土されている場所もあるのですが、場所は樫立です。
末吉ではありません
う〜ん
答えはわかりません。とりあえず、八丈町立図書館に行ってきました。
八丈町立図書館の場所はここです。
一般の貸し出し図書だけでなく、八丈島関連の蔵書も保管されてあります。親切にも、受付の方々に、八丈島関連の蔵書が保管されている奥の部屋へ案内していただきました。
蔵書の中から、下記の2つの記載を見つけました。
鎌倉幕府148年間の支配のようすについては、八丈島に関する古記録がないので不明である。
八丈島誌(1973)
編集者:東京都八丈島八丈町教育委員会
発行者:東京都八丈島八丈町役場
明応7年(1498)に、長戸路七郎右衛門真敷が、北条早雲の代官として渡島し、末吉に本拠をおいて八丈島を統治した。
八丈島末吉地区文化財調査報告(1978)
編集・発行:東京都教育庁社会教育部文化課
1498年には、末吉にはすでに人が住んでいました。しかし、それより以前は、いつから住み始めたのかは私には見つけられませんでした。
歴史の点と点を結びつけるためには、その証拠を見つけなければなりません。
ニュースで、博物館や家の蔵から歴史的に重要な文書や書物が見つかったと大きく取り上げられていますね。
歴史学を研究されている研究者は、専門性の慧眼をもっています。その能力をもってしてでも見つからなかったものを探し出したわけですから、いかに奇跡的で、重要で貴重かがわかります。
だから、大きく取り上げられるわけです
目的の情報を得ることはできなかっため、残念ながら今回のことは論文には書けなくなりました。でも、恥ずかしながらこの歳になって、異分野交流をし、自身の無知を知ったことはいい経験になりました。
この経験を、明日の八丈サイエンスクラブでお子さんと共有したいと思います
明日のブログの更新はお休みします。