今日はお昼すぎまで、丸のこでおがくずを作っていました。出張で止まっていた仕事を一つずつ穴埋めしています。
検査で陰性だったとはいえ、油断は禁物です。普通の生活に戻るまで、あと11日です。
八丈島に帰ってから、毎日が幸せです。でも、どうしてこんなにも幸せを感じているかといいますと、その対極の場所にいたからでした。
今日は、「10日間、大阪の西成区あいりん地区にいました」と題してのお話です。
出張先の仕事場として、間借りできる場所の予定が・・・
今回の出張は、子供たちに科学教育を広めるのが目的でした。でも、この世の中には、私の知らないような環境で生きている子供たちがいます。
その子供たちに近い場所として間借りできる場所を探していたのですが、そこがあいりん地区だったのです。
大阪の西成区あいりん地区は、ある意味有名な場所です。
Googleのストリートビューでは、状況がひどすぎて修正されていたり、そもそも写真自体が無かったりします。Google検索ではヒットした記事は、すごいものばかりです。
宿泊施設周辺に来たときは、すでに日が落ちていました。場所が分かりにくかったため、後ろを気をつけながら、真っ暗な道を1時間くらい歩き回りました。
試しに入ったところが簡易宿泊施設だったりと、けっこう大変でした
結局、家と家の間から突然出てきた人に、場所を尋ね、事なきを得ました。
あいりん地区の朝は4時スタート
あいりん地区の朝はとても早いです。4時に何があるかといいますと、お酒を販売する自動販売機が開始する時間です。
そうしますと、みんな一斉に集まって、お酒を買い、談笑が始まります。おかげで、私も4時に起きる習慣になりました(笑)。
だいたい、酔っ払った5人くらいが宿泊施設の玄関周辺にいます。多いときは、10人くらいでした。
治安のこともあり、出入り口にはモニターカメラが設置されており、毎回、人が少なくなったときに外に出ていました。
あいりん地区では写真は撮れません
彼らの名誉のためにいいますが、決して悪い人たちではありませんでした。道に迷った旅行者には、親切に道を教えて上げていました。
そう、こちらが失礼なことをしなければ、何もしてこないのです
それでも、玄関正面の路上で寝ている人がいたときは、
すごいところに来てしまったなぁ・・・
と思いました。視線を上げれば、みんな幽霊のようにふわふわと歩いていました。
多くの支援されている方々の努力、そして、当事者の方々の努力で、あいりん地区は、昔に比べて、かなりよくなったようです。それでも、身の回りは自身で気をつけなければなりません。
写真なんてもってのほか。好奇心であったり、見下したりするような態度は、相手に伝わります。
これは同じ人間としてしてはいけないことです
それでも中心から500 m以上離れますと、一応、周辺の様子は撮影できます。
もう、落書きだらけです(笑)。ここは夜になると、大きな奇声も聞こえます。
それでも、みなさん、規則正しい生活をしています。20時以降、お酒の自動販売機が停止しますので、夜はとても静かでした。
人が住んでいますので、それなりのものは揃っていました
コンビニ、激安の居酒屋、ラーメン屋・・・周辺にはだいたいのお店がありました。
10日も生活すれば、洗濯物も溜まります。少々薄暗かったですが、コインランドリーもありました。
10時くらいが誰もいなくてよかったですね。洗濯に40分乾燥に30分くらいかかりました。
状況は違いますが、アメリカにいたときもこんな感じでした
不安でしたので、隣の天王寺区で食事をしていました
あいりん地区から歩き始め、天王寺区に向かうにつれて、だんだんと街がきれいになっていきます。
ここまで来ると別世界ですね
こういうサイクルを繰り返しているうちに、本屋で先日の小坂流加先生の小説「生きてさえいれば」と出会ったわけです。
食事をする天王寺区が、私にとっては、ちょっとしたオアシスでした。
西成区あいりん地区は、様々な方々の努力で改善途中ではあるものの、私たち一般とよばれる環境とは大きな差が今でもあります。
臭いもすごいです。生活をしていますと、自然とその臭いが服につき、天王寺区に行ったときは、私も他の人から避けられました。
多くの人は良い方々でしたが、一度だけ、宿泊施設のドアノブを引っ張られたこともありました。
空き巣ですね
狙われていたみたいです。ドアには鍵が3箇所掛けられましたが、すべて掛けていて良かったです。
たった10日間。でも、今回の経験は、私の人生の中でもトップクラスの学びになりました。