現役の研究者時代、研究活動が忙しくなるにつれ、私はテレビ、映画、小説などの娯楽から離れていきました。

当時は、実験しているか、あるいは、論文を読んでいるだけでしたね
八丈島に来てからは時間が増えました。私は写真を撮るのですが、メインの被写体は野鳥です。
双眼鏡で観察し、データを取り、最後に撮影です。その撮影ですが、自分がイメージした瞬間になるまで待ち続けます。
野鳥写真は、気合を入れて待つと上手くいかないことが多々あります。野鳥のことを考えず別のことをしている方が良い結果がでます。
そんなわけで、最近は、「待ち」の時間、小説を読んでいることが多いです。
今日は、「汐見夏衛先生の「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」を読んで」と題してのお話です。
Amazonのレビューが高得点だったので「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」を手に取りました
小説には良いところ悪いところがあります。評価はそれぞれの読者の感想で点数が付けられています。
集合知というわけではありませんが、多くの人が読んでいるものはそれだけ批判に晒され、評価されているわけです。Amazonのレビューを見ました。

この本は良さそうかな?
これが「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」との出会いです。

「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」のストーリー
いつもどおりネタバレ無しですが、少しだけあらすじを紹介します。
物語は、反抗期真っ只中の中学2年生の少女、加納百合からの視点で進みます。母子家庭で学校でも家でも尖りまくって衝突ばかり。
母親との喧嘩から家を飛び出し、防空壕で一晩過ごすことになります。そして、不思議の国のアリスではありませんが、「あの花が咲く丘」の世界に入ってしまいます。
小説は2016年に出版。百合が生きている時代は、持ち物から推察して、だいたいその前後。
入ってしまった「あの花が咲く丘」の世界は1945年。太平洋戦争の終盤の日本です。
タイムトラベルというSF要素はありますが、これは物語を進めるための1要素に過ぎません。
本質は、反抗期ではあるものの中学2年生という少女の純粋な視点を持ちつつ、「戦争」を実体験を重ね、時代背景を学び、殺戮を学び、恋を学び百合が人として成長する物語です。
例えば大人が主人公であったら、時代背景や人と人との社会のつながりを考え、思ったことを口に出さずにいます。
物語にときどき登場する「仕方がない」という万能な言葉。理不尽でもこう吐いてやり過ごします。
私は、大人になって、この言葉の意味を知ることになりました。
一方、中学2年生の百合は純真です。1945年に2016年の自身の基準を反射的に口に出してしまいます。
どちらの年代にも意味があり大切です。著者の汐見夏衛先生の秀逸な対比表現が冴え渡ります。

「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」との意外な接点
物語の中で「生き神さま」という表現が出てきた時に、私は知覧特攻平和館を思い出しました。
研究者時代、南九州市で研究試料の10kgのヤンバルトサカヤスデを毎年集めていました。その研究成果は論文の表紙になり、国内外のニュースにもなりました。
いくつかあるヤスデの採取場を移動する時、必ず知覧特攻平和館の前を通過しました。

当時はとても興味がそそられましたね
でも、研究費は日本の税金から出されています。立ち寄ることは観光になってしまいます。

残念ですが、脇目を振らず終始ヤスデ集めに集中しました
実は、「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」の舞台、南九州市だったんです。物語の世界は、地理的ですが私が経験した世界まで入り込んできました。

続編「あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。」
「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」の結末はもちろんあります。読者によってどう選択がベストなのか色々あるでしょう。
大人の私はこのままで十分でした。しかし、汐見夏衛先生は百合と佐久間彰(百合と恋仲になるお相手)の関係を大切に考え続編である「あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。」を発表しています。

読みましたが、確かに、若い人には続編は必要かもしれませんね

2冊の本は、戦争、人の成長、人生と考えさせられる物語でした

今日は、「汐見夏衛先生の「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」を読んで」と題してのお話でした。
八丈島に来てから本を読む機会が増えました。「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」をネタバレ無しの紹介をしました。

大人向けにはこちらで十分と思います
続編の「あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。」は登場人物が高校生‐大学生なので若い人向けです。百合と彰、そしてもう1人の関係性、読者に向けての優しさを鑑みて汐見夏衛先生は執筆されたのかも知れません。

機会がありましたらこの2冊、お手に取ってくださいね
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