私は、アメリカから日本に帰ってきてから、テレビを買いませんでした。15年間ほとんど見ていません。
映画館で映画を観たのはアメリカ時代の20年前が最後です。でも、今は、便利な時代で、Amazon Prime Videoで代表的な作品は観ることが出来ます。
最近、私のブログで、小坂流加先生の2冊の小説の記事へのアクセスが増えていました。
もしかして、あの映画がAmazon Prime Videoで観られるようになった・・・?
今日は、「小坂流加先生の余命10年(映画)を観ました」と題してのお話です。
「余命10年」とは
ネットで検索しますと、私よりも詳しい解説が読めますが、簡単に「余命10年」という作品を紹介します。
「余命10年」は、小坂流加先生が執筆された小説です。不治の病に罹ってしまった主人公、高林茉莉の最後の10年の人生のお話です。
一行に書いてしまいますと、創作物としてありきたりかも知れません。でも、他の小説と明らかに内容が異なる点は、「余命10年」では、ところどころに踏み込んだ表現が随所に現れます。
そう、「余命10年」は、小坂流加先生が体験した実話の部分が多く含まれる小説です。小坂流加先生は、38歳の若さで、この作品を残して亡くなっています。
映画の「余命10年」
映画の「余命10年」は、藤井道人さんが監督、主演は小松菜奈さんが主人公の高林茉莉役、坂口健太郎さんが真部和人役。
映画の「余命10年」は2時間の上映時間です。原作を忠実にフォローしますと、全てのストーリーを入れることは不可能です。
そのため、出来る限りストーリーを大きく変更しないように注意して、登場人物を限定し、設定を変更していました。シナリオライターの方はとても苦心されたと思います。
映画は小説では出来ない映像表現が可能です。
茉莉の人生の儚さを表現するために、やや解像度を下げたり、逆光によるハレーション(白っぽくなったり)やゴースト(絞りの形が画面に入る表現)を意図的に入れたシーン、心に光が入ったときは顔にスポットライトを入れたりして、役者の演技表現に加えて心理描写の補助をしていました。
生と死の対比、動画の映像記録と決意して記憶を消す行動の対比、現実と本当はあり得ない未来の映像化(海水浴、結婚、出産、子育てなど)、制作側が小説の「余命10年」を読み込み、出来るだけ原作に近づこうと努力している姿も見られました。
制作側の方々も多くの感動の涙を流したと思います
2つの「余命10年」
映画の「余命10年」は、小坂流加先生の世界に近づくための入り口のような位置付けと思いました。原作とは異なる一直線のシンプルなストーリー、本当の最後を見せないエンディング、その代わり、茉莉のifの将来を描くことで、小坂流加先生とご家族に寄り添うシーンが追加されていました。
死をあつかう題材なだけに、出来るだけ視聴者には優しく紹介していました
それでも、映画を観た多くの方々は涙したと思います
小説の「余命10年」は、高林茉莉、真部和人をもっと人間らしく描いていました。人間は聖人君子ではないし、関係が前進したり後退したりする不合理な行動もします。
その表現が人として生々しかったですし、2人の別れと本当の別れが表裏で異なるのも苦しさを増幅させていました。
小説の「余命10年」は、本当に心を抉られます。
小坂流加先生はどの段階で病気が発症したのか分かりませんが、仮に20歳だとすると、そのあとの18年が大変な人生となります。
私たちの一生が80年としますと、わずか18年で60年分の時間が流れたことになります。細胞の生物学的な時間は同じなのに、3倍のスピードで人生が流れます。
私たちの人生ではこのようなことは起きません
小坂流加先生が体験したこと>>>>小説の「余命10年」>映画の「余命10年」の順で私たちが解ることです。
ですので、私たちは、小坂流加先生が経験したことを想像することも出来ませんし、残念ながら理解出来ない世界です。
それでも、私は、映画を観たら、次は、ぜひ原作を読み、命の重みを再考するきっかけにして欲しいと思います。
映画の「余命10年」を観るときの注意点
映画の「余命10年」は、小説の「余命10年」よりもマイルドになっているものの、その破壊力はすごいです。涙はたくさん溢れます。
女性ならばお化粧はめちゃくちゃになるだろうし、男性だって号泣します。そういう姿になってしまいますが、それだけ心の奥底に刺さる映画です。
泣いている人がいても、何も言わずそっとしてあげましょう
小説と映画の「余命10年」のリンクは貼っておきます。両者を読み、観て、素晴らしい作品に触れていただければ幸いです。
エンドロールに流れたRADWIMPSの「うるうびと」、泣かせますね
今、一番のお気に入りの曲になりました
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