今のところギプスは2週間の予定です。

このくらいなら大丈夫か・・・
と私は軽く見ていました。
最初の数日は何ともなかったのですが、最近は、

体を固定されるのがこんなにも心的に苦痛なのか・・・
と、大事をとったとは言え、今はギプス固定を自身で決断したことに後悔をしています。
どんな心情になったとしても、一度始まったら治療期限が来るまでギプスは外せません。
頭がおかしくなりそうなところで、偶然、Kindleで途中で読むのを止めていたある小説が目に留まりました。
今日は、「小川洋子先生の「博士の愛した数式」を読みました」と題してのお話です。
私は小川洋子先生を知りませんでした
今回の読書で小川洋子先生を初めて知りました。調べましたところ、著書数、受賞ともとても多です。と言いますか、多すぎです。
それだけの積み重ねを続けられた小説家の先生でした。
はっきりと分かったことは、私は学が無いということ。人生の時間は限られていて選んで捨てなければいけないのは分かっているのですが、読書量が少なくつくづくバランスの取れていないと思いました。

「博士の愛した数式」について
「博士の愛した数式」は有名な作品ですね。
私も「博士の愛した数式」のタイトルは知っていました。媒体は映画です。
若い頃は映画ばかり見ていた人間ですが、いつしか見るのを止め、機会があったらたまに見るレベルになっていました。
ですので、「博士の愛した数式」のストーリーは全く知らずに小説を読み始めました。
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お話は、交通事故による脳の損傷で80分しか記憶が残らない数学博士、家政婦、家政婦の子ども(ルート)の3人の日常を丁寧に描いています。
「博士の愛した数式」は、小説ですが、実話のように丁寧に時系列を追っています。
おそらく、1995年にアンドリュー・ワイルズ先生が「フェルマーの最終定理」証明したの鍵として、遡って小説にまで組み上げたのだと思います。
時系列の表現のために、1992年の阪神タイガースの湯舟敏郎投手のノーヒットノーランが出てきたり、先発時代の江夏豊投手の話が出てきたりします。妙に詳しすぎです(笑)。
近年の私たちの行動範囲はとても広いですね。車、タクシー、バス、電車、船、飛行機による移動によって日本列島縦断だけでなく、海外にもその行動範囲は広がります。
ところが、「博士の愛した数式」では、ほとんどは古びた家の中、徒歩での行動範囲の中で完結します。
数学博士は、日常会話から数字や数学の定理の意味を美しい言葉で説明します。物語は、彼、家政婦、ルートの日常を紡ぎます。
そして、緻密な描写をすることにより、読者はそれぞれの登場人物の視線を追うような追体験をします。
舞台は狭い世界かも知れません。
ですが、日常は、これほどまでに人が生きること、人に対する思いやり、相手に対する思慮深さで溢れているのかということを知らしめます。
視点によって色々な人生の豊かさを経験出来ることを示した小説でした。
色々あって途中で読むのを止めていましたが、想像以上の素敵なストーリーで、再開して読み終えて良かったです。

今日は、「小川洋子先生の「博士の愛した数式」を読みました」と題してのお話でした。
オイラーの等式やフェルマーの最終定理など数学のお話も出てきますが、表現の一つと思ってください。
数学の定理の世界と日常の世界を丁寧に描写することにより、人の日常の素晴らしさを描いた素敵な作品でした。
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