研究者時代の私は多くの人々に支えれれていたんですね

生活

新しい書き物を書き始めています。そんなわけで、またしばらく外に出ることは出来なくなりました。

今回の執筆は私自身についてです。

私は30年間研究者として生きてきました。といっても、初めは学生でしたので超未熟者でした。

当時の私を研究者と言ってはいけませんね(笑)

そして、色々な方々と出会い、成長してきました。


今日は、「研究者時代の私は多くの人々に支えれれていたんですね」と題してのお話です。


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2人の師

私は、心の底から「先生」と呼ぶ人が2人います。1人は大学院生時代に超未熟者学生だった私を無理やり博士に育て上げた先生です。

当時、研究者として能力が低いうえに、交通事故に巻き込まれて死にかかりました。半年寝たきりになり、そして、立ち上がれるようになった私の体には後遺症が残ってしまいました。

これからどうやって生きていこうか・・・?

と悩んでいた時に、先生は、私をスパルタで教育し、1つずつ成長の階段を登らせました。

そう、先生は、何も出来ないと思い込んでいた私に成功体験を植え付けたのです。

人は学ぶ者です。一度成功体験をしますと、今度は自分でやるようになります。

ああ・・・

こうやって研究って進めるんだ・・・

先生は、私は頭脳型ではなく、体を使った行動型と判断され、体験から私の成長を促しました。

このやりかたは、私が大学院生、学部生、そして、小学生の子どもたちに教えるとき、今でも使っています。


もう1人は先日の国際学会で再会したアメリカの先生です。

先生は、研究者としての生き方の足りない私に、こちらもスパルタで、研究の世界で「戦って生きる」姿勢を教えていただきました。

毎回この教え方です(笑)。現代ではあまり推奨されませんが、私の場合に限っては合っていました。先生は私の個性をよく観察されていたと思います。

アメリカの研究の世界は甘くありません。競争に負けたら姿を消さなければならない厳しい世界です。

私も脱落した人を何人も見てきました

アメリカでの研究は一般に考えられているような「知的好奇心を満たす」という甘いものではありません。

毎日、怖さで眠れず、それでも立ち上がって、実験台に向かい続けなければなりません。全身全霊を込めて、実験台で1日を生き、また、怖さで夜も寝れず朝を迎える生活です。

当時の私は、交通事故の後遺症から睡眠障害が顕著になっていました。

本来ならば人としての欠点。でも、私は不眠でも働ける体を武器にして戦い続けました。毎日、スパルタの世界で生き続けていましたら、知らないうちに私はプレッシャーで潰れない人間になっていました。

当時、先生と私はマンツーマンでした。アメリカで、どう生きるか、どう生き残るかを毎日英才教育(洗脳(笑))受け、私はアメリカで生きられる研究者へと成長していきました。

強くなった私は、そのあと様々な人から色々な嫌がらせも受けましたが、それらに対して何も感じなくなりました。おそらく、当時の先生からの多くの激しいプレッシャーを跳ね除けた経験があったからなのかも知れません。

先生のプレゼンテーションでは私はかなりの確率で登場します。先生にとっても私は異常な人に映っていたのかも知れませんね(笑)。


たくさんの論文は多くの方々の支えがあってのもの

自身の仕事を振り返ってみました。当時は、夢中で実験をしていたので良く分からなかったのですが、数えてみますと論文は50報近く、専門書も5冊くらい関わっていました。

昔は、研究は1人でやるものでした。ですので、昔は著者1人の論文はけっこうありました。ところが、時代は流れ、最近は複数の著者による論文が主流となりました。

研究には様々な実験手法があります。私の場合ですと、化学生態学分野の中で生理学、生化学、分子生物学、免疫組織化学などが得意です。

でも、たった4分野です。

チームを組んだときは、構造生物学、生物物理学、電気生理学、質量分析学、有機合成化学、バイオインフォマティクスの分野の研究者といっしょに仕事をしました。

このくらいの専門分野の研究者といっしょに仕事をしないと、今では良い論文を出すのは難しいです。

では、どうやってその研究者と知り合いになり、仕事が頼めるようになるのでしょうか?研究費は?測定機器は?

異分野の専門家同士の人との繋がりは簡単には出来ません。私は、現役時代、実験台に向かっていましたので気づきませんでしたが、私の回りにたくさんの仲介する人がいたということです。

私は、論文や本はけっこう書いた方です。でも、この業績の源は多くの人に支えれれて生まれたものだったのです。

当時の私はもちろん一生懸命頑張りました。でも、それが形になったのは私の周囲の人々のおかげでした。

今の年になってその重みを実感し、生意気だった当時の私を反省し、今は

その節はありがとうございました

という言葉しか出ません。当時の私は、正面から感謝出来る人でなければいけなかったですね。


今日は、「研究者時代の私は多くの人々に支えれれていたんですね」と題してのお話でした。書き物をしていて、自身の昔について振り返りました。

尊敬する2人の師、そして、研究の過程で多くの人々に支えられて論文や本が出ていたこと、遅ればせながら、当時関わった方々への感謝のお話でした。


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