小さいころに学んだことと、大人になってから学ぶことの違い

その他

私のバードウォッチング歴は35年、野鳥写真歴は34年です。数字にしてみますと、かなりの期間続いています。

では、その質はどのくらいかといいますと、経歴は長いので、確かに初心者よりは上達していると思います。しかし、大学に入ってから出会った後輩に対し、どうしても上回ることのできない壁を知ることになりました。


今日は、「小さいころに学んだことと、大人になってから学ぶことの違い」と題してのお話です。


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年は19歳で、バードウオッチング歴は15年の後輩との出会い

私が大学3年生のとき、1浪した後輩が入ってきました。猛禽、シギ・チドリと野鳥では識別の難しい種ですが、彼は図鑑の誤りを指摘するくらいの能力の持ち主でした。

当時は本当に驚きました

それまでの彼の経緯を聞いてみますと、幼稚園のときから外に出て、いろいろな生き物を観察してきました。小学校から鳥を見るのが重点的になり、最終的にバードウォッチングにたどり着いたそうです。

また、その過程で、周囲の大人の方々からも刺激を受け、さらに専門家とも知り合いになり、自身でも生態調査をするくらいの実力を持つようになったそうです。

彼と出会った当時、私はバードウオッチング4年目。独学で野鳥を覚え、100種類の声を聞き分けられるようになっていました。

私も4年間でかなり成長したと思います

でも、私には後輩との差は大きな壁に見えました


小さいころに学ぶということ

みなさん、ご存知のように小学校に通う期間は6年間です。漢字は1年生から順々に習い、6年生で最終的に1,016字を覚えるそうです。

後輩は小学校に入る前からバードウォッチングを始めていました。幼少期の彼は、見たものを言葉で表現できなかったと思います。

それでも、「いろいろ」見て、記憶に残したはずです。そして、漢字を覚えきったころ、彼は言葉で表現できるようになるのですが、「彼の言葉の一言」にはたくさんの経験した意味を込めていたはずです。1:∞のような関係です。


大人になってから学ぶということ

一方、私はバードウォッチングを高校3年生から始めました。この年になると、見たものを言葉で表記し、記憶に残そうとします。私の場合は、見たことと言葉の関係は1:1です。

本当はたくさんの角度から観察ができ、評価もできるのに、大人になった私は知らないうちに記憶のために意味を限定した言葉の柵を作ります。そして、大人になると、この意味の柵の広さを変えることができなくなります。


幼少期のいろいろな経験が生み出すもの

子供が学ぶとき、言葉を習う前ですので、言葉の柵はありません。その言葉の意味がわからなくても、たくさんのことを目で見て、手で触って、体で体験します。

経験を積んだ子供さんから発せられる言葉は、その後ろに控える意味の広さがあります。後輩と私の関係のように、幼少期の経験の差が、同じ言葉を使うのにも関わらず、言葉の背後の意味の広さの差、経験を基盤とした思考の差につながったのではないかと私は考えています。


私が運営する八丈サイエンスクラブではさまざまなお子さんと出会いました。論理的思考に特化した子、絵が抜群に上手い子、黙々と実験をする子・・・。

私の小学生時代よりも能力が高い子もたくさんいました

私は、自分よりも上ならば、その才能に対し、枷(かせ)は履かせない方針です。私のレベルで成長は止めたくありません。それよりも、お子さんに、できる限り水と肥料をやり、どこまでも伸びるその成長を見たいと思います。

八丈サイエンスクラブは学校ではありませんので、学校とは進め方が少し違います。学校で習ったことプラス自身でそれらを使うことを推奨しています。

バードウォッチングにおける後輩と私の関係から学んだことを、科学教育に活かせればと思い、実践をしています。

八丈サイエンスクラブ
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